映画『ナイトクローラー』

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この映画を観て特に印象的だったのは、主人公ルーの笑顔だ。

その笑顔は、決して感情の発露ではない。楽しいから笑う、嬉しいから笑う・・・そんな笑顔とは似て非なる表情。

顔にのっぺりと張り付いた仮面のような・・・いや違うな。仮面というよりも・・・擬態。そう、擬態というのが一番しっくりくる。たとえば宇宙からやってきたエイリアンが人間の笑顔をコピーしようとしたら、たぶんルーのような笑顔になるのではないか。「僕も人間なんですよ、安心してください」とでも言うかのような、人間に擬態するための白々しい作り笑顔。だがそれはあまりにも完璧な作り笑顔で、周囲の人間はいつの間にかルーの言いなりになっているのだから堪らない。

そんなルーが作中で一度だけ、心からの笑顔を見せるシーンがある。自室でひとりアイロンをかけながらテレビを見るルー。テレビに写っているのは古色蒼然としたコメディ映画だ。不格好な鎧を着た中世の騎士が剣を交えて決闘している。と、攻撃を受けた一方の騎士の首が飛ぶ・・・と思いきや、飛んだのは兜だけで、鎧の中から隠れていた騎士の顔がひょっこり現れる。それを観たルーは、これ以上面白いものなどこの世にないとでも言うかのように、こみ上げる笑いを必死に噛み殺す。

このシーンから「ルーだって人並みの感情をもった人間なんだ」というメッセージを受け取れないこともない。だた、どうしてもそうは思えないのだ。夜の間ずっと殺伐とした仕事に手を染めるルーが、昼間ひとり自室でアイロンをかけている。そんな状況、普通の人間ならどよーんとなってしまうだろう。ザ・ノンフィクションのテーマ曲でも聞こえてきそうだ。なのに、ルーは無邪気にテレビを見て笑う。まったくの平常心なのだ。それがかえってルーの異常性を際立たせる、きわめて恐ろしいシーンだった。

ただ、ルーのことを恐ろしく思うとともに、どことなく羨ましくもなってくるのが人情だ。誰もが多かれ少なかれ、社会というしがらみの中で不自由を感じている。しかし、そんなものを物ともせずわが道を行くルーは、やはりある種のヒーローでもある。いいぞ、もっとやれ。そんな奇妙な爽快感を味わいながら、観客はルーのサクセスストーリーを最後まで見届けることになる。

ところで、本作におけるルーのような「ブレない狂気で状況の中心を乗っ取る人物」が日本映画にもいる。黒沢清『CURE』の間宮だ。『CURE』は、間宮が「人を殺してはならない」というタブーから人々を解放する物語だった。そこにあった後ろめたくも清々しい感触は、確かに本作にも漂っている。

もっとも、間宮は気まぐれに無償で人々を解放していたが、ルーはあくまでも自己の利益のために人々を利用する。その点で、ルーの方が間宮より悪質かもしれない。

ルーは資本主義の正統な申し子なのだ。